プロフィール
小学校4年生から高校卒業まで野球に打ち込む。高校卒業後1年間の浪人の末、大学に入学するも半年で中退。元々好きであった英語を話せるようになりたいと思い、オーストラリアにある語学学校へ留学を決意。そのままオーストラリアの大学、大学院と進み、5年半の留学生活後、日本の医療機器メーカーで海外営業として10年間勤務。その後機械メーカーへ転職。2022年夏からアメリカへ赴任予定。
【保有資格】
・TOEIC925
・英検1級
・IELTS Academic 7.0
【趣味】
・MLB観戦
・マラソン (サブ4)
・家庭菜園 (大体作れます!)
・海外旅行 (約20カ国を旅しました。お気に入りはベトナムとギリシャ)
海外留学するに至った経緯
小学校5年の時、両親が中学校から英語教育が始まるため周りに遅れをとらないようにと、英会話スクールに通わせてくれ、自然と英語が好きになった。英会話教室では、目が青い先生、海外独特の香水をつけた先生など、日本とは違う雰囲気で英語を教えてくれる先生と話すことで海外に興味も持った一方で、思うように英語が話せないもどかしさがありました。
高校は県内で上位に入る普通科の高校で外国語にも力を入れている学校でした。欧米からの留学生もいて、一度友達と興味本位で話しかけた。イケメンだったので、カッコいいね!と伝えたかったが、カッコイイという単語も出てこない。なぜ定期テストではいい点数が取れても、会話が出来ないのか。という葛藤が高校時代もあった。
夏休みの期間を使って海外にホームステイの経験をしたかったが、部活で行けるはずもなく、受験にも失敗し浪人することに。朝から夜まで毎日10時間以上、予備校の自習室でひたすら勉強の日々。人生で一番勉強したし、人生で一番太りました。笑 結果、第一志望の大学には合格出来なかったが、MARCHに入学。入学したものの海外への思いが強く、文法やリーディングだけでなく、英語が話せるようになりたいと思い、大学1年の9月に中途退学し海外の大学に留学を決意しました。
留学先の決定
私がお世話になった留学エージェントは、アメリカ、イギリス、オーストラリアの3カ国への留学支援サービスがありました。今まで一度も海外旅行にも行ったことがなかった自分にとって、アメリカ=銃社会で怖い。という理由で、選択肢からまず外しました(※今思うと野球が好きだし、アメリカが良かったかも)。オーストラリアとイギリスで迷った時、最後の決め手になったのは、天候と食生活!笑 イギリスはずっと曇っているし、食事も美味しくないと聞く(※そんなことはないと思います)。オーストラリア訛りは少し気になるけど、アジア人に対してもフレンドリーだし、暖かいし、オーストラリアにしようと決断しました(19歳の決断ですから、大目にみてください)!
オーストラリアの滞在先は、Queensland州にあるブリスベンというオーストラリア第三の都市に決めました。天候で決めた!という理由もありますが、シドニーやメルボルンといった大都市は日本人も多いだろうと思い、不自由がない程度の都会で、評価の高い大学もあるブリスベンに決めました。
語学学校ライフ
How are you? I’m fine thank you程度しか話せない自分がいきなり大学に通うことは出来なかったので、まずは大学附属の語学学校へ入学しました。
語学学校から大学へ入学するための条件は、
① 語学学校におけるある一定のレベルのクラスを卒業する。もしくは、
② IELTS Academicのスコア6.0を取得
(※TOEICで言うと740〜820/英検準1級相当)
私の場合は約半年でIELTS6.0を取得し大学に進みました!
スピーキングは下から3番目のクラスで、リーディングとライティングは比較的上のクラスだったと思います。英語力の向上に応じて、2〜3ヶ月毎にクラスが上がっていく仕組みです。クラスには、中国、台湾、韓国やアラブ系、アフリカ系など、様々な国からの留学生がいました!語学学校は2時〜3時に終わるので、その後みんなでビリヤード(※オーストラリアではプールと言います)をしたり、日本にはないカジノに行ったり、公園でBBQをしたりしていました。
日本のテレビではよく反日の韓国人や中国人の映像が流れ、その影響で正直中国や韓国があまり好きではなかったが、実際会ってみると全くそんなことはなく、むしろ皆フレンドリーでした。10代、20代の学生が多いなか、英語を学びにくる50代〜70代ぐらいの人もたくさんいて、年をとっても新たに学ぶ姿勢に感動し、また色々な国の人たちと触れ合い、様々な文化や習慣に触れ合うことで価値観が大きく変わりました。
また、留学エージェントのポリシーで、まずはホームステイが義務付けられていました。ホストファミリーはオランダ系の移民のDerekと、Julietで、他にも台湾人2人と韓国人1人の留学生がいる家でした。
ホームステイ先は当たり外れがありますが、私はかなり当たりの方だったと思います。その当時、185ドル/週で契約と留学エージェントから聞かされていたが、他の留学生が175ドルだからと言って自分も175ドルに割り引いてくれただけでなく、カレー、トンカツ等、日本食もよく作ってくれました。家には専用のBBQコンロがあり、これぞオーストラリアライフと思う生活を送っていました。
ホームステイ先にはとても満足していましたが、ブリスベン市内から離れていたこともあり、オーストラリアのナイトライフをもっと満喫したいという思いから、オーストラリア生活を始めて3ヶ月後ぐらいに、ホームステイ先からシェアハウスに移ったりもしました。
大学・大学院ライフ
語学学校に半年通ったし、大学生活もなんなく行けると思っていた自信が不安に変わったのが、大学生活最初のセメスター。10,000文字のエッセイ?まずエッセイって何?、プレゼンってどうやればいいの?・・・。そもそも、先生の話す英語についていけないことが多かったし、先生の筆記体が下手くそすぎて分からないこともあった。オーストラリアの大学は基本、3年間のカリキュラムで日本の大学のように基礎教養科目が全くなく、いきなり専門的な内容を学びます。日本の大学にいるような気持ち、語学学校のような半分遊びの感覚で大学生活を送ろうとすると必ず痛い目に合います。実際、何科目か落としました。
ーー1日の流れーー
① 予習 (約1時間)
② 講義 (2時間)
③ チュートリアル (1時間)
(※10人程度の生徒で講義に対するディスカッション、細かい内容を先生
から教わったりします)
④ 図書館で復習 (約2〜3時間)
⑤ グループワーク / プレゼン / その他課題の準備 (約1〜3時間)
大学卒業後、帰国して就職という選択肢はありませんでした。英語力もまだまだ向上させたいという思い、そしてなりよりオーストラリア生活を満喫していた自分は永住権の取得も視野に、大学院に進学することにしました。
大学と大学院で異なるのは、一緒に勉強する友人の年齢。大体20代後半から30代前半もしくはそれ以上の方で、社会人経験をしてから大学院に進む人が多かった。そのため、落ち着いている方が多く、社会人経験がないオーストラリアのノリで接する自分とのギャップを感じました笑 もちろん、大学時代と比べて授業の内容がより難しく、与えられる課題の量も凄まじく、大学時代よりも多くの時間を勉強に費やしました。
たくさんの失敗はしつつも、「絶対に卒業する!世界を飛び回って仕事がしたい」という思いを強く持ち、勉強に励むことで乗り越え、無事に大学、大学院を卒業することが出来ました。
留学先でのアルバイトライフ
留学中、英語力を高めるにはどうすればいいかと考えた時、英語で話す機会を増やすことが第一だと考え、アルバイトを始めることにしました。日本では売っているJIS規格の履歴書なんていうものはなく、Cover Letter、Resumeをシェアハウスのオージーに添削してもらいながら作成しました。近所の飲食店に手渡しで配りまくりました。ファーストフード店のサブウェイのオーナーから電話がかかってきて、面接をしてもらえることに。イギリス人の店長との面接ではイギリスアクセントの英語が分からず、回答出来なかった質問も多かったので受かるとは思わなかったが、オーナーに面接の合否を何度も電話で確認したり、どうしても働きたい!というアピールのおかげで運よく採用してもらえました。
ちなみに、オーストラリアにおけるアルバイトの良さは、英語力の向上だけでなく、時給の良さも魅力的でした。約1,600円から始まり、最終的に約2,200円まで上昇しました。さらに土日はプラス数百円が追加され、そして祝日は時給が2倍になりました(※職場によりますが、スタバで働く友人は3倍もらえていた)。
しかし、日本のように先輩が丁寧にやり方を教えてくれるという事は一切なく、そしてトレーニングという概念もなく、初日からいきなり接客させられた。そのサブウェイはオフィス街の中心にありピークの12時頃は1時間あたり100人以上来客するような場所でとても忙しかった。
自分の知っている言い回し、周りがどのような言葉を使って接客しているのかを聞いて、それを実践して対応した。初めは周りのスタッフに怒られていることは雰囲気で分かっても、どんな内容を言っているのかも分からなかったので、どう改善すればいいか分からずとても困ったし、仲間がいなくてとても辛かった。3ヶ月ぐらい経つと、全てのポジション、全ての時間帯で対応できるようになり、手際の良さもオーストラリア人に比べると早かった。出来るようになると、みんな声をかけてくれたり、仲良くなった。日本に帰国するまでの5年弱の間お世話になり、その経験が財産となっています。
日本での就職
オーストラリアで5年半生活の中で、日本のトイレのクオリティーの高さ、日本製品が多く使われていて日本=高品質という文化がオーストラリアに根付いているのを感じ、日本のメーカーで海外事業展開を行なっている企業を軸とした。医療機器メーカーの海外営業として、15カ国以上を飛び回りながら10年勤務したのち、機械メーカーに転職。2022年夏からアメリカへ出向することが決まっています。
ブログを通して実現したいこと
実体験ベースに、英語力向上に関する情報発信や、これから英語を学習しようと思っている人、勉強しているけど伸び悩んでいる、どうすればいいか分からない人、さらに向上させていきたい人へサポートしたいと思い、このブログを立ち上げました。
どうぞよろしくお願い致します。
運営者 ルッチ